P9 この本を読み終えたその日から、あなたは日記をつけはじめるだろう
僕が日記の魔力ならぬこの本の魔力にかかったのは、これで二度目だ。
一度目は10年前、この本を初読した時、まさに日記を書き出した。
どれほど続いたかは伏せて・・・、日記の魔力を体感する前に諦めてしまったのだ。(つまり続かなかったってことだ。)
しかし今回、性懲りもなく二度目の魔力にかかり、はや三週間。絶賛継続中だ。
「日記は人生のサポーター」「人に会うと、つい日記を書くことを進めてしまう」と著者の表三郎氏が紹介されているが、まさにこの本は著者の「日記愛」に溢れている。
人生は大海原を渡る大航海であり、日記は「船乗りの航海日誌」のように日々の出来事を淡々と記録すればいい。感想を書こうとするから続かないのであり、日時と何をしたかを具体的に書くだけでよい。その日々のログを振り返って見ると、本来の自分が見えてくる。つまり、セルフイメージと本来の自分の差に気づき、その差を修正することで理想の自分に近づいていくことができる。と著者は語る。
さらに著者の日記論は加速し、日記を書く事は、19世紀のドイツ人哲学者フッサールによって確立された「現象学」と強い繋がりがあると展開する。
p59 日々生きていることを明確に記録していく「日記」が、逆に、なぜ生きているのか、何のために生きているのか、何のために生きようとしているのか、という哲学的「問い」の解凍を導きだすことにつながるのである。
また著者は、
p22 人間の一生は「問い」のレベルで決まるといってもいい。だが、こうした問いはすぐに答えが出るものばかりではない。そんなときは「答え」が見つかるまで、「問い」を別の場所に保管しておく事が必要となる。その場所を私は「問いのプール」と読んでいる
と述べ、問いを忘れないために日記に残すと紹介した上で、
ユングの集合意識にまで話は発展する。
p182 問いのプールは、心理学者のユングが唱えた「集合的無意識」に近いものと考えていただいてもいい。無限の広さをもつそのプールは、どこかでマルクスやユング、その他多くの先人たちの「問いのプール」ともつながっていると思っているからだ。(中略) 過去、現在、未来というのは、人間の意識から出てくるものであり、思考上は過去が未来に先行していてもいいのだ。
哲学や心理学に疎い僕はなんとなく「そうかなぁ・・・」という気にはなっても理解しきれないんですよ。わかんないから。でも、表流日記の書き方、日記を書くメリットという現実的かつ具体的な内容には共感しているので、何か日記にすごいスケールを感じてしまうんですよね。もうそれこそ日記を書くことが気高い行為ってぐらい。そう思わせる表氏の日記愛の深さと大きさが半端ない!!
ということで、二度目の日記にチャレンジしています。我ながら前回続かなかったのは、自分の現在の日常に役立つか?という事をマインドセットできていなかったのが原因だと感じたので、どんな内容をログとして残すのか表流を基に少しアレンジして実行しています。
最後に印象的だった箇所を紹介。
p160 ただ単に「わかる」だけでは読んだことにはならない。なぜ感動を伴わなければダメなのか。それは「わかる」ということにも、いろいろな段階があるからだ。まず、内容を理解するという程度の「わかる」。そして、感動や実感を伴う、「わかる」。(中略)ここまでいけば、自分がわかったことを自分の言葉で人に伝えることもできる。(中略)だが「わかる」には、もうワンランク上がある。それは「悟る」という言葉で表されるものだ。このレベルまでくると、批評や批判ができるようになる。
この本は、もちろん日記を書くことの意味やメリットを学べる。しかし、僕が最も興味を持ったことは、自己啓発から哲学、さらには宗教観にまで発展させその有用性を語る著者の日記愛だ。僕は、体操や弁当について、著者と同じように語り尽くすことができるだろうか。
この本を読み終えたその日から、あなたは弁当をつくり・体操をはじめるだろう
自信を持ってこう言えるようになろう。と決めた。